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3.272025
「葬儀の現場で気づかされたこと」
(青木新門 作家)
“私はもともと作家になるつもりだったんですが、それでは飯が食えなくって、冠婚葬祭の会社にアルバイトに行ったんです。初めのうちは納棺の仕事が嫌で嫌で仕方ありませんでした。ところが葬儀の現場で、死者から教わったことと申しますか、はっと気づかされたことがあるんです。その一つが、昔の恋人のお父さんを納棺に行った時でした。仕事を始めてすぐの頃でしたが、自分の姿を一番見られたくない人です。…幸い姿がなかったのでホッとして湯灌を始めたらその途端、彼女がやってきて傍に座り、お父さんの額を撫でたり頬を撫でたりしながら、時々私のほうにも向いて額の汗を拭いてくれました。…なんと表現していいか分からないぐらいの動揺がありましたけどね。…今までいつ辞めようかとばかり考えていたのを、次の日、医療機器店に行って、外科医が着る白衣を買ってくるんです。そして、これまではわざわざ汚い服に着替えていたんですが、どうせやるんならと思って、服装だけでなく、言葉遣いや礼儀作法も改めました。すると社会的な評価が天と地ほども変わってくるんですね。”
自分が選んだ仕事でなぜ嫌なのかはよくわかりませんが、どの仕事も社会の役に立つ仕事ですから、どうせやるんなら何事もきちっとやるべきだということだと思います。
自分で選んだのだからこそ、自分で仕事の意義と価値を感じ、利用してくださるお客様のために何事もきちっとやれば、頑張りに応じた評価をいただけるものです。
自分が思っているように社会が認めてくれないのは、自分がしていることが正しくないからです。
評価は相手がするものですから、相手の評価基準で行動しなければ、自分の欲しい評価は得られないのです。
服装、言葉遣いや礼儀作法などは、専門知識や技術が無くても誰でも取り組むことが出来ることです。
直ぐに取り組みだせば、周りの評価が変わりだし、取り組む中でプロ意識が育まれていきます。
手を抜いてやっても、真剣にやっても、自分の労力は大して変わりません。しかし、相手の評価は大きく変わります。
どうせやるなら、真剣にやることで、みんなに感動を与え、自分の命を輝かせていきたいですね。
今日もよりみんなの役に立てるよう、全力で感じて動いていきましょう。